身体はかく語りき
今回は人間の身体について私の考えを書いていきたいと思います。
私はランニングにおいて体を単に一つの”道具”として捉えています。
なので、ランニングフォームを考えるときも体の大まかな構造から、どうやって動かせばより効率的なのかを考えます。
人間の体は非常に複雑に出来ておりますが、基本的には野球でいうバッドやツール・ド・フランスにおけるロードバイクなど同じということです。
ただし、人間の体にはスポーツで使われる道具にはない特徴が1つだけあります。
それは”意思に関わらず、使い方に合わせて変化する”という点です。
詳しく説明していきたいと思います。
人は毎日運動を通して体を使いますが、その運動のタイプに見合った形に発達します。
毎日腕立て伏せをしている人は腕に筋肉がある程度付き、脂肪もある程度減ります。
同じ腕を使う運動でもバドミントンですと利き腕ばかりを使うので、利き腕が明らかに太くなります。
また毎日行う運動がベンチプレスであれば腕の筋肉はかなり太くなります。
腕立て伏せではこうはなりません。
これが”使い方に合わせて変化する”という部分ですね。
ただし、”意思にかかわらず”が頭についていますので、もう少しひねりが入ります。
これはどういうことかというと、人が動いているときに脳でどのような処理をしているかが重要になってきます。
例えばこういう話を聞いたことはないでしょうか。
『足を細くしたいと思って、頑張ってランニングしたけど足に筋肉がついて逆に太くなった』
これが”意思にかかわらず”ということです。
希望の方向性があって、運動をしても思った結果が出ないことは往々にしてあるでしょう。
何故こういうことが起きるのかというと、原因は脳にあると考えています。
多くの運動時において、脳はその人の意識とはまた別のところで大量の処理を自動でやっていることが原因です。
より簡単に言うと、”運動時に人はほぼ無意識で動いている”ということです。
例えば先に上げた腕立て伏せやベンチプレスのような腕だけを使う比較的単純な動作であれば、動かすのは腕だけなので意識下で制御しやすく、ほとんどの場合望んだとおりに腕を太くできるでしょう。
ただしこれがランニングの様に全身運動になってくると話が違ってきます。
ランニングは腕立て伏せに比べると非常に複雑で高度な動作です。
常に体の全部位を連動しつつ、重心を移動し、体が倒れないように制御し、ルートや障害物を確認し、避けたり向きを変えたりしなければなりません。
この複雑な動作制御を実現するために脳はほとんど自動ですべてを処理してくれます。
非常に素晴らしいシステムではありますが、時にはこれが厄介でもあります。
つまり、「自分はこうしているつもりだけど、カメラで撮ってもらって外から見ると全然違う」ということが普通に起こりうるのです。
人の身体にはこういった仕組みがあり、かつ私の個人的な経験からほとんどの人は走っているときに意識したくらいではフォームを変えることは不可能だと考えています。
走行中の自動車のタイヤを交換しようとするくらい無理があると思います。
実際に学生時代、多くのランナーとそれなりに長い期間練習しましたが、走るときに意識した結果、ランニングフォームが変わった人に会ったことがありません。
意識に関わらず、練習で脚力が付いたためにフォームが変わった人はいましたが、それはまた別の話です。
またこれも別ですが、オーバーワークによってフォームが改悪した人はたくさんいました。
恐らく走りながら意識的にフォームを変えられる人はまずいません。
もしそれが出来るのであれば、超一流のスポーツ選手になれるのではないかと思います。
大体の人の運動のフォームは先天性的潜在的な身体能力や後天的な経験の積み重ねによって決まってくるでしょう。
そして、そのフォームに沿って体の形も影響を受けます。
要するに
フォーム(体の使い方)=フォーム(体形)
ということです。
単純に使っていれば発達し、そうでなければ衰える、ただそれだけです。
なので、体形を見れば速い人かどうかはアタリがつきます。
ジムで鍛えたような逆三角形の体形はランニングには向いていません。
むしろウエストが細くない、どちらかというと寸胴に近い形で腰・胸・首が発達している人の方が速いことが多いです。
これは人体の重心の位置(おへそ当たり)に近い部分が発達している方が、ランニングの様に重心を移動させる際に、体の各部位の末端が軽いためモーメントが少なく済む分有利だからです。
ちょっと違いますが、先端が太くて重いバットを振るよりも、バトミントンのラケット振る方が楽で速いということです。
ただし、単に体幹の筋肉を増やせばいいわけでもありません。
無意識レベルで自由自在に使えるプログラムが脳にインストールされていないと、筋肉だけつけても走るときに発揮できないので、ただの重りになるだけです。
そういった人は体幹の表面ばかり筋肉が発達していて、内側から盛り上がるような体形をしていないので、見ただけでもランニングに使えないことがわかります。
ランニングに限らず、一流のスポーツ選手はそのような体形をしている人が多いです。
サッカー選手のクリスティアーノ・ロナウド選手やバスケットのマイケル・ジョーダンなど写真を見ると首の太さが頭の幅とほぼ一緒なくらいです。
もちろん世界のトップクラスのランナーも太い筋肉は必要ないにもかかわらず、同じ特徴を持っています。
↓モハメド・ファラー選手
もちろん体形は先天性的な要素にも大きく影響をうけます。
生まれつき足が長いとか、顔が小さい、といった部分は一生かかっても変えることは出来ません。
ただ、前の記事(歴史と食から見る日本人の武器は「超長距離」)でも触れたとおり、ケニア人が中長距離で圧倒的にランニング効率が良いのも、日本人が実はマラソンよりも長い距離において食べながら移動することに向いているのも、環境の違いにより体の使い方が異なり、それが代々受け継がれてきて身体的な特徴差が形作られたのだと考えています。
人の体は、人の想像を遥かに超えて実に合理的に出来ていると感じます。
生まれつきの身体能力や、普段の生活環境、親をはじめとする周りの他人の動きからの学び、普段の運動の種類と強度、その人自身の感性など、様々な要素が複雑に絡み合って今の体の使い方および体形が絶妙なバランスを持って形成されています。
ランニングフォームを変えるということはそのさまざまな要素を出来るだけ把握しつつ、必要な要素を注ぎ足していく、或いは間引いていく作業の繰り返しだと思います。
身体との対話とも言えると思います。
身体は耳を傾ければ雄弁に語ります。
またきちんと手順を踏んで語り掛ければ答えてくれる…はずです。
皆さんの良きランニングライフの参考にしていただけたら幸いです。
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