ケニアの食事情から見る、食とランナーの関係性についてのある仮説
食事はアスリートにとって大切なものだと広く信じられています。
通常、食事では栄養をバランスよく、かつトレーニング量に見合ったカロリーを摂取することが推奨されます。
ただし、食事と人間の肉体、運動パフォーマンスとの関係性はメカニズムの部分においてまだまだ未知の部分が多く、科学的な検証と証明が待たれている分野です。
なので素人が簡単に口出ししてよいものではありませんが、今回はケニアでの経験から思いついたことを反論は承知の上で書いていきたいと思います。
まずはケニアでの食事についての経験から始めます。
ケニアに滞在したときの食べ物の話は別の記事(歴史と食から見る日本人の武器は「超長距離」)でも触れましたが、ケニアは基本的には大地が豊かな場所が多く、農業にむいています。
生産される食物も栄養が十分に含まれており、かつ農薬が使われていないことが多いので、実際に食べたところ野菜や果物、穀物は非常においしかったです。
あくまで栄養素の含有率とか調べたわけではなく、あくまで人の感覚でしかありませんが、同行した他の日本人の方からも同じ感想を伺ったので、それほど的外れではないと思います。
ただ、これがケニアのランナーに限ると話は違ってきます。
前回の記事(ケニア人の骨盤前傾の秘密はハムストリングスにある?)で少し書きましたが、ケニア人でランナーを目指す人は元々決して豊かではありません。
日本の様に子供の時からずっとお腹いっぱい食べてきたわけではないのです。
そしてケニアにあるトレーニングキャンプでも所属している選手は十分に食事がとれているとは言えないのが現状です。
(参考:Running with Kenyans 〜トレーニングキャンプに潜入!! | 吉野剛の裸足ランニング)
穀物や野菜や果物は比較的多めですが、肉や魚を食べる機会は週1・2回とかなり少ないそうです。
もしかするとタンパク質の摂取は不足しているのかもしれません。
また、これはキャンプの地元選手の話ですが、黙っているとパスタやチャパティ、ウガリばかりを食べることが多いそうです。
(この辺りは食育が十分ではない可能性もあります)
更に、ケニア人のランナーは摂取するカロリーよりも消費カロリーの方が多い、すなわちネガティブエナジーバランスであることが指摘されています。
(参考:2008-12-17 - ひとり学融日記)
実際に会ったケニア人選手の中にはかなり小食な選手もいて、あまりにも食べないので驚きました。
平均的にみても日本人と比べるとあまり食べる量は多くないように感じました。
理由の一つにそういう環境になかったのではないかと考えられます。
つまり、栄養事情は決して恵まれたものではないということです。
現在世界で活躍しているケニア人ランナーや、アフリカ系のランナーも大差ない環境で育ったと仮定すると、一つの仮説が考えられます。
それは”ある程度の貧食はランナーの成長にとってプラスに働く”という可能性です。
これは単に体重を落として軽くすればランナーにとって都合がいい、という話ではなく、その先にある話です。
少し視点をずらして日本の食事情から考えましょう。
日本の場合、子供の頃から3食きっちり食べることがここ半世紀ほどは当たり前で栄養状況は非常に恵まれていると言えます。
むしろ栄養の過剰摂取気味という状況にあります。
(参考:栄養面から見た日本的特質:農林水産省)
そんな中で運動するというのはどういった影響があるでしょうか。
一つ目に効率を考えなくてよいということが挙げられます。
トレーニングが終わったら必ず腹一杯、栄養豊富な食事をとることが出来るので、そのような環境条件で運動することは例え長距離走であっても効率が優先されにくいです。
そのため、がむしゃらで非効率的な運動パターンが身につきやすいでしょう。
一言で表すと「効率が悪いフォームになりやすい」と考えられるのです。
二つ目は身体の過剰な発達が促されやすいかもしれないということです。
栄養が過剰に体に供給されるということは本来優先されない四肢の末端の部位も運動の刺激により筋肉や脂肪が発達しやすくなる、つまり無駄に筋肉がつきやすいのではないかということです。
ケニア人に比べて、日本人のランナーのふくらはぎが太い理由の一つかもしれません。
筋肉の発達というのは場合によっては意外と厄介なものです。
一度ついた筋肉は運動を継続している限り落ちたりしません。
筋肉を落とすためには運動を長期間減らすorやめるか、断食に近い食事制限により意図的に壊すしかありません。
ランナーにとっては余計な筋肉は重りでしかなく、また効率が悪くなりますね。
日本人の状況に比較してケニア人の場合は少ない食事量の中で高いパフォーマンスが要求されるため、動きも効率的になりやすく、かつ体も無駄のないものになるのではないかということです。
ただし、この仮説には重大な欠陥がいくつかあります。
まず仮説自体が生存者バイアスである可能性があります。
ケニアの食事情では洒落でもなんでもなく、栄養失調に陥りやすく、時には命に関わることがあります。
(参考:ケニア/干ばつ:深刻な食糧不足と栄養危機 37万人の子どもが急性栄養不良)
ケニアの食生活環境下でトレーニングすることはかなりリスクが高いのですが、その厳しい環境で生き延びるほど強いポテンシャルを持っていたから世界で活躍できただけかもしれないという話です。
もしデニス・キメットが子供の時から日本で適度な食事と、同等のトレーニングをした場合、マラソンの世界記録はもっと伸びていたかもしれません。
また、人は個人によって食事との相性が存在します。
食べ物によってアレルギーになってしまうレベルから、吸収しやすい・しにくい、好き嫌いまで人それぞれ個体差があります。
これは食事の相性や好き嫌いなど個体差の多様性があった方が人間という生物が環境の変化(=摂取可能な食物の変化)に対応して生存しやすいからです。
全人類が米しか食べれない生物だった場合に米がなくなった絶滅してしまうので、その危険性を種として回避しているのです。
そのためケニアの食事情では栄養の吸収能力が弱い個人はもちろん、肉や魚と相性の良い個人にとっても不利になります。
だから決して安易にケニアの食事情に倣って食生活を変えようとはしないでください。
今回の仮説はデメリットも大きく、下手に取り入れることはおすすめできません。
あくまで一つの仮説としてもしかしたらある程度の貧食はランナーの成長にとってプラスに働く、かもしれないと頭の片隅にでも留めていただけると幸いです。
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